一般財団法人総合科学研究機構名誉理事長
学校法人筑波研究学園会長
高良和武
私は、昭和18年に大学を卒業した後、特別研究生として大学院に残り、2年後に終戦を迎え、昭和23年に大学院を修了した。その後は、九州大学理学部、東京大学教養学部、そして工学部で約30年間にわたり研究と教育に携わってきた。筑波との関係が生まれたのは、文部省高エネルギー物理研究所の中に「放射光実験施設(フォトン・ファクトリー)」が建設された昭和53年からである。1984年3月に、定年退官した後は、国立公害研究所長であった近藤次郎先生から話があり、学校法人筑波研究学園の創設に関与することとなった。
そして、1987年の学校法人筑波研究学園の設立にあたり、「産学協同」を設立趣旨に掲げることとした。さらに、1988年には財団法人真空科学研究所が設立されたが、この時も「産学協同」を唱い、1998年の財団法人総合科学研究機構への改組に際しても、この方針は再確認され継続されているのである。
この「産学協同」という考え方は、今では、公益法人や学術団体等の運営においては常識化されているが、30年位前までは全く異なる状況下にあった。私が研究生活を始めた昭和20年代には、戦前への「軍事協力」への反省からか、産学協同はタブー視されていた。その傾向は、昭和30年代40年代の冷戦時代も同様であった。昭和35年の日米安全保障改締時の「安保騒動」や昭和43年に起こった「大学紛争」では、産業界と深い関係を持つ研究室などは、学生による批判の対象とされたものである。
ところが、昭和50年代に入ってからは、科学技術の分野で「ビック・サイエンス」が次々と誕生し、社会状況が大きく変化し始める。その中の一つが、「放射光科学」であり、こうした動きが活発化するに伴い、「産学協同」への拒絶反応も少なくなったように思われる。
一方、現在の社会は、様々な面で「行き詰まり現象」を来たし、それからの脱皮が求められている。そこで、CROSSに対し、新たな社会的期待が寄せられようとしている。これらに取組むには新たな発想が必要とされると思う。それこそが「連携協力」という考えである。
現在のCROSSでは、21世紀の産業社会の中で新たな可能性が出始めているようである。これを具体化させるには、様々な課題を解決しなければならないが、如何なる事態にも対処可能な「確たる方針」が必要とされる。ここに改めて、「産学協同の理念を大切に」して前進することを期待してやまない。